タイトル


 

 当山は、源氏の名門平賀家の屋敷跡であり、建治三(1277)年、日蓮大聖人の篤信者である時の領主曽谷教信公の協力を得て、領内の地蔵堂を当地に移して法華堂としたことに始まり、大聖人よりご直筆の御本尊・ご愛用のお袈裟・お数珠の三箇の霊宝と共に「長谷山本土寺」の寺号を授かった事により開山と致します。

 また当平賀の地は平賀家の三兄弟、すなわち日蓮大聖人の直弟子で師孝第一の日朗聖人、京都弘通という日蓮大聖人の遺命を全うされた日像聖人、そして池上・比企ヶ谷両山の第三世である日輪聖人の三聖輩出の聖地でもあります。

 かつて当山は池上の長栄山本門寺、鎌倉比企ヶ谷の長興山妙本寺と並び「朗門の三長三本」と呼ばれ、宗門屈指の大山として末寺百数十を統べ、 山内は四院六坊がとりまく十四間四面の本堂を中心に七堂伽藍がその山容を誇ったものでありました。しかし、不受不施の法難と明治維新の廃仏毀釈運動により、その偉容は衰退してしまいました。

 現在は「あじさい寺」「四季花の寺」として親しまれ、花の時季には多くのご参拝を頂いております。
境内には、日像聖人をお祀りする像師堂の側らに「乳出のご霊水 日像菩薩誕生水の井戸」が遺されおり、安産・子育てに霊験があると伝えられています。
他にも三聖人のご生母で「母菩薩」とも称される妙朗尊尼や、子育て鬼子母神等の様々な神々より御守り頂いているお寺でもあります。

 本土寺の「本土」とは法華経壽量品に説かれる「我此土(わがこのど)」つまり、久遠実成の本仏であるお釈迦様がお住まいになる国土を意味しています。また本土寺の草木・花々は、仏土を鮮やかに彩る「宝樹」であり、お釈迦様だけでなく我々衆生をも「心の安らぎ」へ導くという祈りが込められているのです。

 
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